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2007年2月21日 (水)

久々の葬儀

昨夜、旭川で同業者の通夜があった。

札幌圏組合加盟業者9軒の内
義のある7軒が通夜に参列した。

亡くなられた方にはしっかりした後継さんがいて
すでに我々と同等に仕事をしているので
亡くなられた方に対する悲しみより
後継さんに対して“ガンバレよ!”と云う
通夜と云うよりも激励会のような雰囲気だった。

帰りの電車の中で
「次はオレだから頼むなぁ」と
大先輩が言ったので
『冗談でないですよ。まだまだお元気ですよ。』と
答えたが
突然の同業者の死を考えると
白々しいようで複雑だった。

みんなこの仕事が好きでやっている。
行き帰りの電車の中でもそうだったが
集まればバカな事を言って笑い合っている。

いつまでもみんな元気でいて欲しい。

2007年2月 1日 (木)

久々に回顧録

最近見た映画は「海猿」と言った人がいた。

「海猿」で思い出した事がある。

幼少の頃、
どう云う訳か実家が“船員寮”をしていた時期があった。
色んな船員さんが出入りをしていたので
必然的に港では顔が広かった。

その船員さんの中で何人か今でも憶えている。

その一人が海上保安庁のUさん。
Uさんにはよく遊んでもらっていたので
転勤になると聞いてすごく落ち込んだ記憶がある。

その浜田へ転属したUさんが
日本で初めて
転覆した船底に穴を開け救助活動をした。
つまり元祖「海猿」。

それを機会に
現在の「海猿」の態勢が整ったらしい。

※函館の巡視船に乗っていた人からも聞いた話なので
 間違いないと思う。


もう1人忘れられない船員さんが
南海汽船のFさん。

Fさんは船長を目指す勤勉家だった。
(実際に船長になれた)
船室には何冊もの船舶の専門書があって
その本を勝手に持ち出し
船員気取りで船内を歩いた記憶がある。

Fさんが乗船していたのが“須磨丸”。
何度か航海に連れて行ってくれて
ブリッジは勿論、機関室にも入れたので
必然的に船好きのガキに変身していった。

古き良き時代の船員さん達を知っているので
志した事もあったが
今の海運業界にその姿はない。


画像は
初めて舵を取った“須磨丸”


Suma_maru

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